10歳の娘の2回の手術

目次

はじめに

 

 

入院に当たり、記憶だけでは何十年後も覚えていられないと思い、子供へ残す記録として経過を書き留めることにしました。そのうち、参考になりそうなことを紹介します。

 

手術1回目(腰部)

 

娘は生まれつきの「先天性側弯症」で、胸部・腰部に「半椎」という、ちゃんとウスの形をしていない三角形の脊椎があり、胸椎の一部にも癒着のあるS字状カーブのタイプでした。

 

全体的なバランスはとれていたので、5歳の時から経過観察をしていましたが徐々に進行、9歳時には腰痛を訴えるようになり、10歳で腰部のコブ角34度で、腰部の「半椎切除後方固定術」を受けることになりました。

 

入院

小児病棟のプレイルームで遊んでいます。

靴はかかとストラップのあるクロックスがお勧めです。

手術室で行方不明にならないよう、大きく名前を書いておくといいと思います。

 

手術前の検査

今回はMRI・CT検査を入院してから受けました。その他色々な検査や前処置を手術前までにします。

 

手術の2日前

担当医師による手術の説明を、子供と一緒に受けました。

手術の危険性なども説明され、怖くもありましたが、今回の手術部位は、脊髄の神経が馬尾という枝分かれした場所なので、胸部に比べれば危険性が低いということと、10歳にして腰痛では手術をしておいたほうが良いと納得しました。

 

手術当日

◇手術着に着替えて出発です。この時、下はT字帯をつけていますが、その後の数日間は大人用の紙オムツを使うと便利でした。

 

◇GICUが満床のため、小児病棟の個室に戻りました。本人の第一声「まだ手術してないよ。」

すぐに別室で医師から術後のレントゲン写真をもとに、手術についての報告をうけました。実際の手術は3時間半、前処置と麻酔から醒めるのを待つため時間がかかりました。

 

◇状態 :モルヒネ・輸液の点滴が両手につけられています。

ベッド柵上部には、体内に差し込んだドレーンで体内の手術部位から出血した血液を溜める容器を置きます。ここから初めの1回だけ血液を体に戻し、その後は回収のために2日後までつけていました。

 

足全体に、血栓を防ぐためのエアーバンドが巻かれていて、定期的に膨張・収縮を繰り返していました。

 

術後

朝おかゆ、食事開始です。昼におならがでました。貯血1パックを輸血。

酸素吸入が終了していたところ、夕方に発熱・ふるえがおき、酸素モニター値が88(92以下でアラームが鳴ります)に低下したので、ナースコールしました。

酸素吸入を再開して落ち着きましたが、少しボーッとしていました。

 

手術の2日後

モルヒネが減量されてゆき、痛み止めには座薬が数日と、飲み薬は退院まで定期的にでました。(退院時にも処方してくれました。)

指にセンサーをつけていて、「ET」と言うと怒りました。

 

手術の3日後

突然元気になり、うつぶせになってゲームをはじめ、食欲もでました。

 

手術の4日後

ガーゼ交換ではじめて傷口確認。表面にびっしり張られているテープは自然にはがれるのを待ちます。

点滴はすべてはずれました。

コルセットの採寸をして、出来るまでの間ギプスをつけることに。息をしやすいようにお腹に穴が開いていて、タヌキのようです・・・。

半椎を切除した影響で、左足までギプスが続いていてパンツがはけず、ここもまたオムツにしておいて良かった点です。(導尿カテーテルはまだついています。)

 

手術の5日後

リハビリの先生が病室に来て、立つ練習です。
(手術部が腰で、骨も弱かったので、ギプスを作るまで立てませんでした。)歩けるのを確認して、導尿カテーテルを抜きました。

 

手術の7日後

リハビリの先生と外を歩きました。

 

手術の8日後

手術後初めての洗髪。リハビリで階段の昇降をしました。

 

手術の10日後

2日後に退院しました。

 

退院後

傷口のテープが剥がれていったところ、縫合糸の端が3ミリほど外に出ているのを発見。

抜糸はしないので、体内にある分はそのうち溶けるのでしょうが、さすがに外に出てたら溶けないよね・・・ということで、清潔なハサミで出ているところを切り取りました。

 

1ヵ月半後

小学校へ登校。この後、3ヵ月後までは、親が自主的に荷物を持ってあげて登下校していました。

 

約半年後

まだ走ってはいけませんが、運動会では踊りだけ参加しました。みんなが飛び跳ねるところでは、まわるだけにするなど工夫してもらいました。(コルセットは着用しています。)

 

約8ヵ月後(2回目手術の2週間前)

水泳は半年後から可でした。手術をしたら、またしばらく旅行に行けないので、沖縄の座間味島へ行き、シュノーケルをして白いウツボを見つけて喜んでいました。

 

 

手術2回目(胸部)

 

胸部の手術は、腰部よりは危険性が高いことから手術をためらっていましたが、コブ角62度と進行してしまったこと、また、1回目の手術から約3ヵ月後に、はじめて喘息発作を起こして2週間別病院に入院し、そのとき肺機能が30%低下しているといわれ、将来のためには手術するしかないと決心しました。

 

入院前

今回は喘息発症後だったので、入院してから小児科の医師が病室に来て、喘息のコントロールについて相談しました。

手術の前処置を必要とする目安が「前回の発作から半年」とのことで、ちょうど半年になったばかりなので、手術前日からベネトリン・ビソルボンを吸入し、手術前のステロイド注をすることになりました。

 

手 術

手術直前にはコブ角74度とさらに進行しており、手術も、矯正中に脊髄神経の状態を見るための電気信号が1回弱くなったため、信号が元に戻るのを確認してそれ以上の無理はせず、コブ角28度までの改善となりました。

 

ただし、今回の手術の目標が「将来のために、出来る範囲で今より悪くならないようにしておく」ということで医師・家族で合意していたので、無事に終わりよかったです。

 

手術後

酸素吸入をやめてから息苦しさを訴え、息苦しさは9日間続きました。

 

首・二の腕にしびれがあり、息苦しさも手伝ってつらそうで、トイレ以外は動こうとしませんでした。
発熱が続くため、感染症の症状を見過ごさないために、定期的に痛み止めの飲み薬が出なかった(つらいときはお願いすれば座薬を入れてもらえましたが)のも影響していたと思います。

 

退院後

退院1週間後の外来診療の後、お風呂に入れるようになると、「今気がついたけど、背中の感覚がない」と言い出してビックリ。

 

確認してみると、傷口を中心に8㎝の幅で皮膚の感覚がなく、さわられてもわからないとのこと。

 

腰の時にはこのような症状はなかったものの、広い範囲で皮膚を切っているので一時的にはこのようなこともあるかと思い、日々チェックしていたところ、徐々に無感覚の幅が狭まってゆき、5ヵ月後の今ではほとんど(一部残っていますが)元に戻りました。

 

くしゃみをすると金属が共振するのか、「ビーン」となるそうです。「ビーン」となっているときの顔は、雨粒が落ちてきたときのトトロに似ていてちょっとカワイイのですが・・・。

 

まとめ

 

 

娘本人が側弯症を苦にしていなく、2回の手術後も傷痕を隠すことなく、へっちゃらで水着を着て温水プールに行っているようなタイプなので、手術する決心を親がしなければいけないところが難しいところでした。

 

結果的には、腰痛・急激な進行と呼吸機能の低下がなければ踏み切れませんでした。

 

娘が「手術する前より体が軽くなって、楽になった」といってくれるので、まずはホッとしているところです。

 

2回目の手術の矯正結果からみて、手術をする目安がコブ角約50度というのも納得のいくところです。

 

本人が十分に判断し、希望できる年齢に達しているなら、大掛かりな手術だからこそ、より良い結果の出せる時期にするのもひとつの選択だともおもいます。

 

また、私たちのように、大変な手術だからこそ、よほどのことがないと踏み切れない気持ちもわかります。私としては、「娘が『やりたい!』といってくれたらいいのにな~」などと気弱になったりしていました。

 

いずれにしろ、本人・家族・医師で十分相談して、ベストなことを探してゆくことが大切な手術であると感じています。

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