側弯症手術のきっかけ
私が側弯症の手術を受けたのは、3年前の2月、大学1年生の冬になります。
19歳でしたが、側弯症とはもうずいぶんと長い付き合いでした。このまま事実に向き合わなくても生きていけるのではないか、と心のどこかで考えていたように思います。
そんな私が、どうして手術を受けようと思えたのか、そしてその後どう生き方が変わったのかについて少しお話させて頂きたいと思います。
普通の大学生活をしていました
これを読んで頂いた方々にとってほんの少しでも、役に立てたり、勇気付けになれたら幸いです。
私は、大学に入ってヨットサークルに入部しました。
毎週土日が泊り込みで合宿練習を行い、夏休みなどは30日間中24日間ほど練習していました。
背中は他人より疲れやすかったですが、スポーツが大好きだったので、見た目以外は特に問題は無く生活していました。
きっかけは腰痛から
しかし大学1年生の10月、突然ひどい腰痛が起こりました。
地元の整形外科医に見せた所、すぐに慶応病院に紹介しますから見せに行って下さいという話になりました。
先生によると、背骨の側弯がかなり進行していて、手術の必要があるかどうかなどきちんと見てもらったほうが良いとのことでした。
腰痛は2、3日ですっかり治り、今まで10年近く足踏みしていたのが嘘のように、あっという間に専門的な所で診察を受けることになりました。
今思えば、関係なかったはずの腰痛は私にとって大きな転機となりました。
手術への決意
地元の整形外科医の方から、慶應病院の側弯外来・松本先生をご紹介頂きました。
側弯症の専門病院
今まで自分と同じ状態の背中の人に出会ったことさえなかったので、専門的に診て下さる場所があったのは私にとって大きな救いでした。
「これは手術だ」が必要だと
レントゲン写真に明かりが照らされた瞬間、愕然としました。
小学生の頃見た自分の背中とは、とても同じものとは思えませんでした。66度と書き込みがされた写真は、先生に何も言われる前から、「これは手術だ」とはっきりと分かってしまう程でした。
手術で懸念すること
手術をすると、最低でも1年間はスポーツ復帰出来ないと言われました。
術後半年経過でようやくランニングを開始して良いとのことでした。
しかし、1年間経ったからといって以前と同じように自分の体が使えるのか分からなかったし、ヨットは一人でやるスポーツではないので、復帰してもチームのメンバーに付いていけないだろうと思いました。
つまり、私にとって手術を受けるということは、その時はスポーツを諦めることと同じことでした。
手術への決断の葛藤
ただ、私にとって明確だったのは今しか時間が無いということと、将来このまま生活を続けることは困難になると考えました。やりたいことは沢山あるけれど、今やるべきことから逃げてはいけない。
その日私は一人で診断を受けに行き、スポーツを諦めなければならない悔しさから思わずその場泣いてしまいましたが、看護師の方々が優しくして下さりとても嬉しく思いました。
手術の日取りが決まると、それからは急に色々なことが動き出しました
手術での失血を補うには他人ではなく自分の血を使用するため、自己血を貯蔵したり、MRIなど、検査がたくさんありました。
しかし、慶應病院の先生方が私のために一生懸命力を尽くして下さることが嬉しくて、段々通院が楽しくなりました。